【日本語学・日本語史(中世)】
仏典は現在では人々の生活から縁遠いものと思われているが、中世には庶民のために法華経が仮名書きされた資料が残されている。日本語史研究の一環として、仏典が日本語でいかに読まれたかに関心を寄せてきたが、「仮名書き法華経」は同一経典の同一の内容が各時代ごとの言語によって書き継がれたものであり、語彙・語法を通時的に観察するのに格好の資料である。先にはこれにより、謙譲の補助動詞「給フ」の活用型の推移を解明した。また、研究史の浅いこの分野では、伝存資料の系統的な整理に迫られており、その一応の成果を「仮名書き法華経研究序説」(平成18・勉誠出版)として刊行した。目下は有力な伝本と目される「月ヶ瀬本」の調査、研究に当たっている。
さらに、通常の「仮名書き法華経」とは異なり、原典の語句、語順にはとらわれずに法華経の内容理解に導くために意訳された和文の法華経の存在したことが明らかになった。これまでは音読または訓読されたとのみ考えられてきた仏典に和文の翻訳が存在したことは仏典(法華経)の浸透の歴史的な面からも、また日本語史のうえからも注目すべき新事実である。現在のところ、絵詞と断簡にその痕跡を認めるに過ぎないが、この方面の資料の探索にも力を注いでいる。
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書名:現代日本語文法入門(ちくま学芸文庫)
著者:小池清治
出版社:筑摩書房
母語、現代日本語の文法論を学ぶことは古文や外国語の文法論を学ぶこととは事情を異にする。古文や外国語の文法を学ぶことは、それらの言葉を理解するために必要なものである。実際、文法を手掛かりにしてそれらの言葉を学習した経験は誰にもあるにちがいない。しかし、現代日本語の場合には人はその言葉に習熟しており、無意識のままに駆使している。よく問題にされるハとガについても「今日の演習の当番は誰ですか」「はい、私が当番です」というように、ハとガの遣い分けを誤る者はいない。ところが、この二つの助詞の相違についての意見は様々である。文法論とはわれわれが平常使い慣れている言葉に潜む法則を見いだし、体系化することに他ならない。
著書は「文法は一つであるが、文法論は複数存在する」ことを述べて、学説創始者の名を冠した五つの文法学説―大槻文法、山田文法、松下文法、橋本文法、時枝文法―を適宜に紹介しそれぞれの特色に触れながら、説得力のある自説を述べる。随所に小さな設問を用意して、テーマに導く工夫が凝らされていて、とかく敬遠されがちな文法(論)に目を開かせてくれるユニークな文法入門の書である。
さらに関心をもつ人のためには、同じ著書の「日本語はどんな言語か」(ちくま新書)が待っている。
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