【視空間認知発生論】
眼を開けると,そこには,事象・事物の群れに隙間なく埋め尽くされている整然と構造化された視覚的世界が広がる.この視覚的世界は存在を支え,その行動展開の可能性を示している.人間が初めて眼を開くとき,この視覚的世界はどのような姿で存在しているのであろうか.
John
Lockeが記した『人間知性論』(1690)の補稿に,一通の書簡文が載せられている.「生まれつきの盲人が今は成人して,ほぼ同じ大きさの立方体と球体を触覚で区別することを教わり,それぞれに触れるとき,どちらが立方体で,どちらが球体かを告げるようになったとしよう.それから,テーブルの上に立方体と球体を置いて,盲人が見えるようになったとしよう.問い.盲人は見える今,触れる前に視覚で区別でき,どちらが立方体で,どちらが球体かを言えるか」.
1728年,イギリスの眼科医Chesseldenは先天性白内障で失明した13歳の少年に混濁した水晶体を除去する手術を施し,その手術後の状況を観察し,報告している.少年は手で触れれば即座にわかる形や事物を眼で見てはそれがいったい何かわからないという事態に直面し,奥行きや色を捉える場面でも当惑いが起きたという.眼で見る世界がその機能形成過程の産物であること,人間が学習的存在であることを窺わせる.
このような,一定の行動歴を経てから開眼手術を受けた人たちとの共同実験を通して,形や事物の知覚の成立過程を追いかけています. |
書名:流れとよどみ
著者:大森荘蔵
出版社:産業図書
存在,真実,確率,論理,言語,時間,心など,人間行動を支える基盤概念を巡り,日々の現場の出来事を足場にその定義を作成している.
たとえば,言語の一成分である音声言語・話し言葉について,「せせらぎの音を流れから分かち,潮騒の音を海から分離し,雷鳴を雷雨から引きはがせば,小川も海も雷雨も全く別物になるだろう.口を開いている人からその声を剥離したなら,それは口を開いている『人』ではなくなるだろう.声は人間の排泄物ではない,その生身の流動的部分なのである.だから私がある人の声を聞くとはとりもなおさずその人に触れられることなのである.互いに声を交わすとは互いに触れ合うことである.その触れ合いは時に愛撫であり,時に闘争であるが,多くは穏やかな日常的触れ合いである.だがこの声のからみ合いによって人は人とつながれる.手を取り合って,眼差しを交わして,あるいはスキンシップでつながれるように,声の触れ合いでつながれるのである.それは固形的触れ合いではないが,それでも肉体的接触なのである.動物の交わす声も単なる合図ではなく仲間同士の肉体的接触ではあるまいか.そして祈りの声も神にとどき神に触れることを願っての声ではあるまいか」(82-83頁).
日々の出来事を猟捗し,それらを機能的側面から区分けし,基盤概念に関わる思想の辞書を作成している.
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